こんにちは、たとえ話ブロガーのヒデヨシ(
@hideyoshiy)です。
『思考の整理学』(外山滋比古 著、筑摩書房)は1986年に第一刷が発行され、刊行30年経った2016現在、200万部を超える大ベストセラー本で時代を超えたバイブルとして今も多くの人から愛されている一冊です。
本書には数えきれないほどのたとえ話が使われています。
それぞれが学び深いものばかりであるため、たとえ話が上手くなるブログとして「思考の整理学のたとえ話」をシリーズ化することにしました。
今回は本書から厳選した20のたとえ話を紹介します。
『思考の整理学』の意味がわかる20のたとえ話
(各記事の題目をクリックするとそれぞれの記事を見ることができます。)
“ 学校の生徒は、先生と教科書に引っ張られて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。
(P.11)
受動的な勉強法では子どもが本来もつ才能を存分に発揮できません。能動的で没頭できるものを与え、強制しない環境をつくることが現代に求められています。
“ われわれは、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない。
(P.14)
情報が氾濫する現代では1次情報までさかのぼってその信憑性を確かめる必要があります。結果だけではなく、プロセスにも目を向ける大切さが語られています。
“ 入門しても、すぐ教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを拒む。剣の修業をしようと思っている若ものに、毎日、薪を割ったり、水をくませたり、ときには子守りまでさせる。なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。
(P.17)
教えてほしくても教えてもらえない。焦らしに焦らされることで、能動的に師匠の技術を盗もうと必死になる。古来からある能動的な学習法を学ぶことができます。
“ ビールを作るのに、麦がいくらたくさんあっても、それだけではビールはできないと同じことである。これに、ちょっとしたアイディア、ヒントがほしい。(中略)読書、テレビ、新聞など、どこにどういう面白いアイディアがひそんででいるかもしれない。このヒント、アイディアがビール作りなら醗酵素に当る。
アイデアだけではモノは完成しません。アイデアは寝かせる必要があります。そして醗酵素となるヒントと結びついたとき、ビールのような、革新的なひらめきが得られます。
“ 早く煮えないか、早く煮えないか、とたえずナベのふたをとっていては、いつまでたっても煮えない。あまり注意しすぎては、かえって、結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。
(P.38-39)
いくらナベを見ていても煮詰まるのが早まることがないように、思考もときには焦らずじっくり寝かせることが大切です。
“ A、B、C、Dをまぜ合わせれば、カクテルのようになるであろうが、こういうバーテンダーに本当のカクテルができるわけがない。ちゃんぽん酒である。カクテルもどきでしかない。
(P.45)
自分の意見が正しいとは限りません。相手の意見も取り入れた上で思考を展開していけば、お互いが納得できる答えが得られます。そのための交渉術を学びます。
“ 「詩とは、もっともよき語をもっともよき順序に置いたものである」
(P.52)
アイデアを並べて、カルタ取りのように順番を「編集」していくと思考が整理されます。会話も同じで5W1Hの並び替えで会話を面白くつくることができます。
“ ことばのひとつひとつの単語は、映画のフィルムのひとコマひとコマに相当する。語と語の間にある切れ目、空白は、その前の後の生ずる残曳によって塗りつぶされて、意識されないものになる。フィルムを映写すると、映像が切れ切れにならないで続いて見えるのと同じ理屈である。
(※残曳(ざんえい):残像のこと)
(P.62-63)
ことばの一つ一つはまるで映画のフィルムのように、一定の流れがあるからこそつながっているように聞こえます。これはことばに「慣性」がはたらいているためです。言葉にも慣性の法則が当てはまることを学びました。
“ 脱線には義務感がともなわない。本来は周辺的なところの話である。それが印象的でいつまでも忘れられないというのは、教育におけるセレンディピティである。(中略)われわれはそういう気軽な話のうちに多くのことを自らも学び、周りのものにも刺戟(しげき)を与える。
(P.70-71)
脱線する話は比較的リラックスして聞くことができます。その結果セレンディピティ(思わぬラッキー)によってまた面白いアイデアが生まれます。だから脱線する授業は面白いんですね。
“ 人知の発達は、情報のメタ化と並行してきた。抽象のはしごを登ることを恐れては社会の発達はありえない。
(P.77)
抽象のはしごの登り降りとは、状況に応じて話の抽象度を変化させることです。対人コミュニケーションなら1次情報ベースで具体的に話すといった形です。
“ 植物でも苗床においただけでは、よく発育しないものがある。稲などその適例で、苗を田植えで移植する。それによって急に成長する。
(P.104)
稲の苗は田んぼに移すことですくすく成長します。同じように人が変わるには環境(コンテクスト)を変えることが不可欠です。
“ コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として使うことに、疑問がわいてきた。(中略)そこでようやく創造的人間ということが問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、というのである。
(P.111)
人工知能やロボットの普及で人間の雇用機会はどんどん減ります。そんな中、コンピュータにはできない、何かを創り上げることができる人間が必要とされています。
“ 食べるものを食べる。消化して吸収すべきものを吸収したら、そののこりは体外へ排泄する。食べるだけで、排泄しなければ糞づまりである。これまでの倉庫式教育は、うっかりしていると、この糞づまりをつくりかねなかった。どんどん摂取したら、どんどん排泄しないといけない。忘却はこの不可欠な排泄に当る。目のかたきにするのは大きな誤りである。
(P.114)
人は忘れることで生きていくことができます。そんな「忘却」を排泄で表現した上手いたとえ話と、嫌なことをすぐに忘れる6つの方法を紹介しています。
“ 大工は生木で家を建てない。新しい木はいいようであるが、建築材料にはならない。乾燥してくると、ゆがむからである。変形する前の生木は、木材としては、いわば、仮の姿である。時間をかけて変わるべきところは変わらせてからでないと、家を建てることはできない。
(P.123-124)
生木は乾燥させなくては木材として使えません。思考も同じように新しすぎるアイデアは時代が必要としていない場合があります。そんなときはアイデアをいったん眠らせることが必要です。
“ 知的マラソンレースにおいても、折り返し点をまわらないで突っ走るランナーが少なくない。折り返し点以後では、ただ、知識を増やすだけではいけない。不要なものはどんどんすてる。
知識は増やしすぎるとあふれてしまい、それ以上頭に入らなくなってしまいます。そうならないために「すてる」ことを意識して日々ミニマイズすることが思考の整理につながります。
“ 全速力で走っている自転車は、すこしくらいの障害をものともしないで直進できる。ところがノロノロの自転車だと、石ころひとつで横転しかねない。速度が大きいほどジャイロスコープの指向性はしっかりする。
(P.137)
自転車は動き出してしまえば転ぶことがないですね。自転車のように、人の行動も動き出して流れに乗ってしまえば億劫な作業も案外楽にできてしまいます。
“ 表現をぎりぎりに純化してくると、名詞に至る。まず、副詞が削られる。(中略)副詞の次には形容詞もぎりぎり必要なものでない限り、落とした方が、考えがすっきりする。
(P141-142)
無駄なことは言わない。言葉は余計なものをつけない方がわかりやすくなります。
“ 企業などが同族で占められていると、弱体化しやすい。(中略)似たものは似たものに影響を及ぼすことはできない、という。同族だけで固まっていると、どうしても活力を失いがちで、やがて没落する。
生物の近親交配は遺伝子が劣性になりやすいため控えられています。同じように、起業も同じような人しか周りにいなければ刺激がなくなりやがて衰退してしまいます。